
謎の徐福の真相がここに!
縄文人の作った富士王朝は、なぜ消されたのか
神につながる祖先を祀るとともに、星に祈りを捧げていた古代の人々。それが、神社の始まりですが、富士山から見て鬼門※(北東)の方角に位置する「杓子山(し ゃくし)」とその周辺には、上から見ると、なんと北斗七星を描く「天子七廟※」があります。
そして、杓子山を登りながら下から順番にお参りすると、富士山の頂を間近に望む、時空を超えた「高天原」が開けるのです――。
古代富士王朝の人々が大切にし、覚醒のために仕掛けた装置でもある「天子七廟」を、内なる北極星“アルカス”の導きによって探り当て、現代に復活させたのが、杓子山でゲストハウス「ピースワン」を営む伊藤 淳さんです。編集部は今回、コノハナサクヤヒメが出産した場所でもあるというピースワンを訪れ、伊藤さんの素敵なお話をたっぷりと伺いました。
古代縄文の人々や徐福は、どのように富士王朝を築いていったのか、北斗七星の謎を解くことで、本当の歴史が浮かび上がってきます。
お話◎伊藤 淳さん 取材・構成◎編集部 文◎樋口由夏、編集部
イラスト◎ツグヲ・ホン多
お話◎伊藤 淳さん 取材・構成◎編集部 文◎樋口由夏、編集部イラスト◎ツグヲ・ホン多
※鬼門:北東のこと。陰陽道で、鬼門の方角は次元の狭間で、エネルギー的に不安定になるため、邪鬼が出入りするとして警戒された。鬼門に聖なるものを配置することで、それを防ぐことができるとされる。
※廟: 祖先・先人の御霊を祭る社 (やしろ) 。祠 (ほこら) 。
ゲストハウス
「ピースワン」主宰
Jun Ito
Profile
いとうじゅん◎90年代中盤、野外パーティの黎明期に(株)イクイノックスを設立し、数々の伝説的なパーティのオーガナイザーとして活躍。その後、日本のPeaceを富士山から世界に発信するために、山梨県富士吉田市に移住し(株)ぴーすを設立。2016年、富士山の北東(鬼門)に位置する杓子山の麓にゲストハウス「ピースワン」をオープン。1年後、病気で倒れたのをきっかけに突然、神がかった話が口をついて出るようになる。ゲストハウスでは宿泊客に富士王朝の真実を語り、富士王朝聖地巡礼ツアーも行なっている。
https://www.peaceandone.com
古代の人々は、夜空で唯一動かない星である北極星を中心として、星々がめぐっていることを知っており、北極星を「北辰」と呼んで神々が住む宇宙の中心と考え、神格化していました。北辰のことを天皇大帝(てんのうたいてい)といい、日本で使われる称号の「天皇」にも取り入れられたとする説もあります。
北辰を仏教の言葉にすると「妙見菩薩(みょうけんぼさつ)」といいます。妙見は北斗七星+北極星のことです。妙見菩薩は中国由来といわれていますが、じつは日本発祥ではないかと私は思っています。その証拠が、私の住む富士吉
田市「明見(あすみ)」の地名。「あすみ」と読むなら「明日」という字を使うと思うのですが、そうではありません。
「明」の偏の「日」はアマテラス、旁つくりの「月」はツキヨミを意味します。「見」の字は、「目」から生まれたという意味。そして「明見」は「みょうけん」とも読みます。つまり、「明見」という漢字が中国に渡って「妙見(菩薩)」になったのでしょう。(伊藤さん)
この記事の目次
病気をきっかけに霊性に目醒めた
いまから8年前、杓子山のこの地
を訪れたときのことは忘れられませ
ん。「このために生まれてきた」と
しかいえない感覚、そこからいまも
なお、宝物を探す旅が続いています。
ふり返れば、宝物探しの旅をする
きっかけとなったのは私の病気でし
た。ここ杓子山でゲストハウス「ピー
スワン」を営み1年が過ぎた頃、若
い頃からの不摂生がたたり、急性重
症膵炎で倒れたのです。
医師には「助かる確率は五分五分」
といわれたほどの重病。奇跡的に一
命はとりとめたものの、膵臓の8割
は二度と回復しないため、食事も極
端に制限され、一生、肉や魚は食べ
られないと宣告されたのです。
自然なものしか食べられない体に
なり、富士の天然の湧水を飲み、瞑
想をする日々。杓子山で仙人のよう
な生活を余儀なくされたのです。
瞑想を始めてしばらく経ったとき
のこと。テーブルの上のクリスタル
が発するエネルギーがはっきり見え
るようになりました。私はあまり人
の言うことを聞かないし、信じない
タイプでしたが、見えてしまったも
のは納得するしかありません。
それからは、山に流れる氣や季節
の節目に流れる氣もどんどん感じら
れるようになり、いままでの自分な
ら絶対に言えないような神がかった
話がスラスラと口をついて出るよう
になったのです。
いまから8年前、杓子山のこの地を訪れたときのことは忘れられません。「このために生まれてきた」としかいえない感覚、そこからいまもなお、宝物を探す旅が続いています。
ふり返れば、宝物探しの旅をするきっかけとなったのは私の病気でした。ここ杓子山でゲストハウス「ピースワン」を営み1年が過ぎた頃、若い頃からの不摂生がたたり、急性重症膵炎で倒れたのです。
医師には「助かる確率は五分五分」といわれたほどの重病。奇跡的に一命はとりとめたものの、膵臓の8割は二度と回復しないため、食事も極端に制限され、一生、肉や魚は食べられないと宣告されたのです。
自然なものしか食べられない体になり、富士の天然の湧水を飲み、瞑想をする日々。杓子山で仙人のような生活を余儀なくされたのです。 瞑想を始めてしばらく経ったときのこと。テーブルの上のクリスタルが発するエネルギーがはっきり見えるようになりました。私はあまり人の言うことを聞かないし、信じないタイプでしたが、見えてしまったものは納得するしかありません。
それからは、山に流れる氣や季節の節目に流れる氣もどんどん感じられるようになり、いままでの自分なら絶対に言えないような神がかった話がスラスラと口をついて出るようになったのです。
北斗七星の天子七廟は北極星の富士山を指し示す
宮下文書(みやしたもんじょ)には、富士山麓に「高天原天子七廟」と、それを合祀する本宮をアマテラスが創建したと書かれています。廟とは祖先神・自然神の霊を祀る神社や石碑・場所・建物のことで、天子七廟とは、天命を受けた七代の神さまたちをお祀りする廟のことをいいます。
宮下文書で、富士の地に初めて来たとされるタカミムスビ、カミムスビから、イザナギ、イザナミ、富士にゆかり深いコノハナサクヤヒメやニニギなどが祀られています。
ある日、地元の神主さんに天子七廟のことを聞いたときから、まるで私が七廟を探すことが決まっていたかのように、次から次へと七廟に関する情報が流れてきました。
たび重なる噴火や洪水により、天子七廟は失われたと聞いていましたが、調べてみるとすべて残っていました。その中には、毎年、初詣で訪れていた廟もありました。私は何か予感がし、地図を広げ、七廟と思われる場所に印をつけて線でつないでみました。すると驚いたことに、それは北斗七星の形だったのです。
北斗七星は「杓子星」ともいいます。つまり杓子山は、北斗七星の山ということです。そして北斗七星は北極星を見つける目印の星。再び地図を見るとなんと、北極星の位置には富士山があったのです。先人たちは、日本でいちばん高い山、富士山を北極星に見立てていたーーその瞬間、すべてのパズルのピースがはまったように感じました。
杓子山を彩る「天子七廟」と「北斗七星」
杓子山と呼ばれる所以は、その地に北斗七星を抱えているから。七廟のひとつ「高たかくらしゃ座社」は、北斗七星の形には入っていませんが、いちばんエネルギーの高い廟です。その位置はまるで龍の手が宝珠を握っているよう。龍の尾の先にあるのは、龍神を祀る根こんげん元神社です。それぞれの廟と、七廟が合祀された「本宮」を、伊藤さんに案内していただきました。
■天子七廟は❶、❷、❸、❺、❻、❼、❽の七つ。
■北斗七星を象るのは❶から❼の七つ。
■❾の本宮は、天子七廟が合祀されています。
■★は、ピースワンがある場所です。
ご祭神
イザナギノミコト、イザナミノミコト
富士山が見渡せるここは、古代の人たちにとって燈台(高燈の神廟)としての機能も兼ね備えていたのでしょう。イザナギ、イザナミを祀る埼玉県・秩父市の三峯神社の分霊となっています。古代に同じ敷地内だったと思われる当地の先端には、2000年以上前からお祀りされている高燈大明神(イザナギ、イザナミ)の祠があります。
ご祭神
アマテラスオオミカミ、スサノオノミコト
「太」は「ダイ」と読みますが「太一(たいいつ)」から来ています。太一はアマテラスオオミカミを指す言葉で、古くから神宮のシンボルマークとされてきました。小石もなく土だけの独立した山なので、私は古墳なのではないかと思っています。アマテラスとスサノオが同じ本殿の中で一緒に祀られているのは、いまのところ、ここ以外に知りません。
ご祭神 サルタヒコ、第六天魔王
地元の人は杓子山に祀られている神のことを権現(ゴンゲン)さまと呼んでいて、裾野にある麻王社は根元野(コンゲンノ)の神廟と呼んでいます。ご祭神はサルタヒコ。富士吉田市は機織りで有名で昔は麻で織っていました。もう一
柱の神、第六天魔王とは、閻魔大王や弥勒菩薩、帝釈天のいちばん上にいる
神で、ヒンズー教のシヴァ神が仏経へと取り入れられたときの名前ともいわれています。
ご祭神
ヨロズハタトヨアキヅシノミコト、アメノオシホミミノミコト
ヨロズハタトヨアキヅシノミコトはスサノオの第一子女。能登半島の雲津から来て、明見の旧地名である家基都(かきつ)姫となりました。アメノオシホミミノミコトはアマテラスオオミカミの養子であると、どちらも宮下文書に記述があります。ここ福地八幡宮を管理している宮下家が、宮下文書を保存しています。
ご祭神
ハニヤスヒコノカミ、ハニヤスヒメ、クニサツチノミコト
「シャグジ」はまさしく縄文を代表するミシャグジ神のことでしょう。ここには白清瀧姫(はくせいりゅうひめ)も祀られています。「白と清(青)」は、まさに富士山の色。「龍」の字が入っている姫は日本では他にいないと思われます。龍は皇帝のシンボルなので、龍が入っている姫は女王を意味します。歴史的に見ると、ここが七廟の始まりの神社です。
ご祭神
ニニギノミコト、コノハナサクヤヒメ
山之神から徒歩5分ほど下ったところにあります。「宇津峰」とは、古代山中湖から忍野(おしの)まで広がっていた伝説の宇宙湖(うつこ)という湖の峰を指します。ほかの地域にも金山神社はありますが、御祭神は金山彦神(カナヤマヒコノカミ)がほとんどなので、なぜ金山なのかは由緒沿革からは不明です。
ご祭神
オオヤマツミ、ワケイカヅチ
「ピースワン」から最も近い神社で毎年、初詣に訪れています。天然記念物の「大明見神社のモミ」がそびえたち、森の中に小さな祠があります。地元の人からの信仰は篤いですが、いつからあるのか誰も知りません。オオヤマツミは大いなる山の神の意味で、コノハナサクヤヒメの父であり、宮下文書ではツキヨミノミコトの息子とされています。もう一柱のご祭神ワケイカヅチは、カモサワヒメの諡(おくりな)。静岡県賀茂郡から来たお姫さまです。
ご祭神
タカミムスビ、カミムスビ
ここは北斗七星の位置には入っていません。杓子山の南側、富士山寄りの高座山の頂上にあり、富士山の最高の絶景ポイントでもあります。タカミムスビ、カミムスビは万物の根源を示し、宇宙の起源とも伝えられます。「結び」の語から良縁を期待されるようにも。天子七廟を回って最後にここにたどり着くと、感謝の気持ちが湧いてきます。この場所は時間の流れ方が違うようにも感じ、まさに時空を超えた場所といえます。
ご祭神
コノハナサクヤヒメ、クニサツチノミコト、
ホンダワケノミコト、ウイジニノミコト
現在の正式名称は「大明見北東本宮小室浅間神社・古宮」。新社の大明見の北東本宮小室浅間神社から東に1kmほど行ったところにあります。貞享3年(1686)まではここに鎮座していましたが、現在、ご祭神は新社に移っています。ここは、アマテラスが創建したとされる天子七廟のご祭神を合祀した阿祖山太神宮になります。阿祖山太神宮は、大明見北東本宮小室浅間神社の別称です。
伊勢神宮にも北斗七星があった
「私の名前はアルカス、私の名前はアルカス」。
じつはその少し前から、何度もこの言葉が頭の中でくり返されていました。調べてみると「アルカス」は、ギリシャ神話に登場する北極星のこと。私はアイルランド人の父と日本人の母を持つ混血です。天子七廟と北斗七星のつながりを知ったとき、極西の島国と極東の島国の血が流れている私の中で、ギリシャ神話の北極星アルカスと、杓子山の北斗七星が融合した感覚がありました。
驚いたのはこれだけではありません。私はふと思い立ち、伊勢神宮の地図の内宮・外宮・月読宮・倭姫宮・伊雑宮・天岩戸神社・猿田彦神社の場所に印をつけて線を引いてみました。するとそれは、杓子山に描かれたのとほぼ同じ北斗七星の形でした。北極星のあるところには、瀧原宮(たきはらのみや)がありました。瀧原宮は水の宮です。そして富士山もまた、豊富な水が湧き出る場所です。
北斗七星は柄杓(ひしゃく)=水を汲みとるもの=杓子です。つまり先人たちは、富士山と瀧原宮から湧き出る聖なる水、命の水を地上に描いていたのです。これは富士山からの強烈なメッセージではないか、そう思いました。
高天原が存在したといわれている宮崎県の「日向(ひむか)国」は、富士王朝の存在を消したとされるヤマトタケルの父・景行天皇が「この国は日の出のほうを直に向いている」と述べたことから「日向国」になったという逸話があります。
しかし景行天皇の数百年前から「日向」は富士にありました。長日向の宮=高天原は、富士山の北東=鬼門に当たる杓子山にすでにあったのです。「日向」は、もともと「いい水が湧き出るところ」という意味で、長日向遺跡の目の前には、タカミムスビ、カミムスビを祀る高座社があり、そこからは富士山が望めます。



本来、南を向いて祀られる祠ですが、伊勢神宮の方角(南西)を向くように変えられてしまった太神社。ここには徐福のお墓があります。上部は龍の頭を模して作ったように見えますね。あるとき、一緒に来たチャネラーさんが「何かある!」と、お墓の裏手を掘り始めました。すると、まるで亀の甲羅のような石が出てきたのです。ここはきっと、祭祀を行なっていた場だったのでしょう。(伊藤さん)
シャーマン・徐福によって地上の北斗七星が描かれた
天子七廟という、地上に描かれた
北斗七星はおそらく、徐福とその地
に住む人たちで作ったものでしょう。
徐福とは、いまから2千年以上も
前に秦の始皇帝の命令を受け、不老
長寿の霊薬を求めて渡来し、宮下文
書を書いたといわれている、いわば
シャーマンです。彼は遠く東の果て
に、争いのない文明があるというこ
とも知っていたのでしょう。
徐福の伝説は日本中にありますが、
不老長寿の霊薬を求めて富士山の麓
にもやってきて、そこで暮らす人々
とも交流しました。
縄文から弥生に移りゆく時代の中
で、何十隻もの船で現れたシャーマ
ン・徐福は、人々にとって、驚きと
ともに迎えられたことは想像に難く
ありません。私が「天子七廟の配置
が北斗七星ではないか」と思ったの
も、徐福が占星術を扱うシャーマン
だったからです。
徐福の持つシャーマンとしての知
識と、縄文人のスピリチュアリティ
の融合によって、北斗七星の形に七
廟が祀られていったのではないで
しょうか。徐福こそが、もともと存
在していた廟に、「北斗七星」とい
う価値を与えたのだと思います。
その徐福の子孫のもとに勉強に来
たのが、武
たけのうちすくね
内宿禰です。武内宿禰は、
現代にたとえれば総理大臣。伊勢
神宮の北斗七星は、彼の指揮により、
大和王朝にも富士王朝と同様のもの
を、ということで作ったのではない
かと私は見ています。
また、彼によって書かれた「竹
内文書 」などの古史古伝は、いってみ
れば当時の政府が国民に「こう在っ
てほしい」という思惑のもとに書き
足された部分が多く含まれています。
本当の歴史とは、そのような思惑
を排除したものであるという思いの
もと、私は直感とフィールドワーク、
そして、答えをもたらすためにやっ
て来たとしか思えない人々からの情
報をもとに、長年、謎解きを行なっ
てきました。今回、私がお話するこ
とは、ほかでは語られていないこと
ばかりです。
天子七廟という、地上に描かれた北斗七星はおそらく、徐福とその地に住む人たちで作ったものでしょう。徐福とは、いまから2千年以上も前に秦の始皇帝の命令を受け、不老長寿の霊薬を求めて渡来し、宮下文書を書いたといわれている、いわばシャーマンです。彼は遠く東の果てに、争いのない文明があるということも知っていたのでしょう。
徐福の伝説は日本中にありますが、不老長寿の霊薬を求めて富士山の麓にもやってきて、そこで暮らす人々とも交流しました。
縄文から弥生に移りゆく時代の中で、何十隻もの船で現れたシャーマン・徐福は、人々にとって、驚きとともに迎えられたことは想像に難くありません。私が「天子七廟の配置が北斗七星ではないか」と思ったのも、徐福が占星術を扱うシャーマンだったからです。
徐福の持つシャーマンとしての知識と、縄文人のスピリチュアリティの融合によって、北斗七星の形に七廟が祀られていったのではないでしょうか。徐福こそが、もともと存在していた廟に、「北斗七星」という価値を与えたのだと思います。
その徐福の子孫のもとに勉強に来たのが、武内宿禰(たけのうちすくね)です。武内宿禰は、現代にたとえれば総理大臣。伊勢神宮の北斗七星は、彼の指揮により、大和王朝にも富士王朝と同様のものを、ということで作ったのではないかと私は見ています。
また、彼によって書かれた「竹内文書 」などの古史古伝は、いってみれば当時の政府が国民に「こう在ってほしい」という思惑のもとに書き足された部分が多く含まれています。
本当の歴史とは、そのような思惑を排除したものであるという思いのもと、私は直感とフィールドワーク、そして、答えをもたらすためにやって来たとしか思えない人々からの情報をもとに、長年、謎解きを行なってきました。今回、私がお話することは、ほかでは語られていないことばかりです。
弥生人が渡来したことで縄文人は生き残れた
徐福は日本の国づくりの土台を作った人です。中国の書物にも日本の伝承にも、彼が武器を持ってきた形跡はなく、もともと争う気はなかったと考えられます。それまで多くの戦いを見てきた徐福にとって、自然と調和した縄文の暮らしは素晴らしいものに映ったでしょう。
だからこそ、どうやってそれを守っていくかを縄文の人々と一緒に考えながら、日本の国を築いていったというのが、真実だと私は思っています。
縄文と拮抗する弥生文化をもたらした渡来人は、稲作文化とともに領土争いや所有の概念、ヒエラルキー構造をもたらす結果となり、それが男性性優位である大和王朝の土台となっていったことを、否定的にとらえる人は多いですが、私は違った視点をもっています。
縄文時代はたしかに、全員がマインドフルネスのような完全に調和した状態で生きていた、素晴らしい時代でした。
ただ、その末期には寒冷化により、約30万人いた縄文人は5万人くらいまでに減り、絶滅寸前だったといいます。そこに大陸から移民が来たことによって、絶滅しないで済みました。つまり、渡来人たちが押し寄せたことにより新たな交流が生まれ、血が薄まることにもなり、縄文人たちは生き残ることができた、ともいえるのです。
すべてを受け入れ、訪れる人たちを愛し、ゆるやかに混ざり合い、生き残っていく。それが日本の歴史だと思います。
『ピースワン』で龍神祭を行なったときのこと。キャンプファイヤーの前で音楽を聴きながら瞑想をしていたら、地面の下で大きな龍が動く感覚があり、地震のようにその場が大きく揺れました。びっくりしてニュースをチェックしましたが、地震は起きていませんでした。
その後、お祭りに参加した人から「淳さんすごいですね、北斗七星の形にドローンを飛ばす演出までされて」と言われたのですが、私はそんな演出はしていません。後で撮影した動画を見せてもらうと、空に明らかに北
斗七星の形を組んだUFOが映っていました。
天上には北斗七星、空には北斗七星を象ったUFOの光、地上の私たちは七廟を抱く杓子山で北斗七星を祝っているという、まるで3種の北斗七星が一堂に会したような不思議な状態で、すべてはつながっていると感じた出来事でした。きっと龍神さまも喜んで動いたのだと思います。(伊藤さん)
徐福の影武者が全国に存在した
ここで、徐福と富士山との関係に
ついて、別の角度からも触れておき
ましょう。
徐福は不老不死の霊薬を求め日本
中を回っていたわけですが、この国
の人たちを守るために、まず、その
入り口である九州や出雲を防衛しよ
うと考えたのは、当然のなりゆきで
しょう。だんだん兵力がついてくる
中で、ようやく日本の真ん中辺りの
広い盆地、大陸から遠い場所である
奈良が都となったのです。
徐福の伝承は日本中にあります。
その内容はほぼ似通っていますが、
私は、その多くが彼本人ではなく、
徐福の影武者だったと思っています。
日本や大陸を見回せば、まだまだ戦
が行なわれていた時代で、本物の徐
福を簡単に見つけられては困るから
です。となれば、彼はどこに居を構
えたのでしょうか。
それが富士山だったのです。徐福
がめざした山は、「須弥(しゅみ)
蓬莱山島国」といわれています。「しゅみ」とは、
「須弥山(しゅみせん
)」のことをいいます。須弥
山は古代インドの世界観の中で、中
心にそびえる聖なる山のことです。
その須弥山にたとえられる山とし
てあるのが、インドネシアのジャワ
島にあるスメル山です。「スメル山」
で検索して、画像をぜひ見てみてく
ださい。富士山とそっくりの形であ
ることに驚くはずです。このことは、
世界中で「宇宙の中心となる山」の
形状が、まさに富士山の形状だった
ということを意味しています。
富士山は5つのプレートが重なっ
てできています。人間の耳には聴こ
えませんが、とてつもなく大きな石
の音や波動の中にあります。富士山
は、もともと多次元とつながる時空
だったのではないでしょうか。ここ
で暮らしていた縄文人たちも、自然
に多次元とつながり、宇宙とつなが
る暮らしをしていたのだと思います。
ここで、徐福と富士山との関係について、別の角度からも触れておきましょう。徐福は不老不死の霊薬を求め日本中を回っていたわけですが、この国の人たちを守るために、まず、その入り口である九州や出雲を防衛しようと考えたのは、当然のなりゆきでしょう。だんだん兵力がついてくる中で、ようやく日本の真ん中辺りの広い盆地、大陸から遠い場所である奈良が都となったのです。
徐福の伝承は日本中にあります。その内容はほぼ似通っていますが、私は、その多くが彼本人ではなく、徐福の影武者だったと思っています。日本や大陸を見回せば、まだまだ戦が行なわれていた時代で、本物の徐福を簡単に見つけられては困るからです。となれば、彼はどこに居を構えたのでしょうか。
それが富士山だったのです。徐福がめざした山は、「須弥(しゅみ)蓬莱山島国」といわれています。「しゅみ」とは、「須弥山(しゅみせん)」のことをいいます。須弥山は古代インドの世界観の中で、中心にそびえる聖なる山のことです。
その須弥山にたとえられる山としてあるのが、インドネシアのジャワ島にあるスメル山です。「スメル山」で検索して、画像をぜひ見てみてください。富士山とそっくりの形であることに驚くはずです。このことは、世界中で「宇宙の中心となる山」の形状が、まさに富士山の形状だったということを意味しています。
富士山は5つのプレートが重なってできています。人間の耳には聴こえませんが、とてつもなく大きな石の音や波動の中にあります。富士山は、もともと多次元とつながる時空だったのではないでしょうか。ここで暮らしていた縄文人たちも、自然に多次元とつながり、宇宙とつながる暮らしをしていたのだと思います。
ヤマトタケルによって富士王朝はなかったことに
徐福と縄文の人々によって築かれ
た、北斗七星を象る天子七廟は、富
士王朝の霊的な中心スポットでした。
実際、杓子山を登り、下から順にお
参りすると、次第に意識が覚醒・拡
大していき、七番目の廟の高座社か
らは、何とも神々しい富士山の姿を
望むことができます。
外国人を連れてくると、感動し
て涙を流す人もあり、また、多くの
人の口から「ここは高天原のエネル
ギーですね」という感想を聞きまし
た。開けた意識で眺めるその絶景は、
まさに時空を超えていると感じさせ
るものです。
そんな天子七廟を懐に抱く富士王
朝は、アマテラスをはじめ、シャー
マン的な存在が中心となって政(まつりごと)
を行なっていた、女性性が開けた文明で
した。謎解きを進めるうえで、これ
ははっきり感じていることですが、
そんな富士王朝も、次第に衰微して
いきます。
何が原因だったのか。それは、「古
事記」「日本書紀」(以下、記紀)に
記された大和王朝の歴史の中では
英雄とされている、ヤマトタケルと
その背後にある、と私は見ていま
す。ヤマトタケルの東征は、父であ
る景行(けいこう)天皇と、330年も生きたと
いわれる武内宿禰の命令によるもの
だったといわれていますが、徐福の
子孫に学びに来たという武内宿禰が、
天子七廟の存在を知らないはずはあ
りません。
本来、天子七廟において、北斗
七星の第一星の位置にある「高燈大
明神」は重要視されていたはずです。
にもかかわらず、ヤマトタケルはこ
の「高燈大明神」をなかったことに
してしまいました。さらに第二星の
位置にある「太神社」が向く方角を、
本来の南ではなく、伊勢神宮がある
南西に変えてしまったのです。
そして、そこから約4km離れた所
に「北口本宮富士浅間神社」を創建
し、「北方に美しく広がる裾野をも
つ富士は、この地より拝すべし」と
命を下したのです。
これによって第一星の「高燈大明
神」は無視されただけではなく、杓
子山に描かれていた北斗七星が崩れ
ることになりました。そうすること
で、徐福たちによってもたらされた
霊力を弱め、この国を支配しようと
したのでしょう。
このときから、杓子山に描かれた
北斗七星とともに、天子七廟=富士
王朝の存在は消滅し、今日まで人々
の記憶から消えてしまったのです。
もちろん、ヤマトタケルはこの国
を守るために、良かれと思ってやっ
たことだろうと私自身は思っていま
す。しかし、結果として、その頃か
ら国内外でも争いが起こるようにな
り、それが昭和の時代まで続いてい
くことになります。
その後、ヤマトタケルは「ホツマ
ツタヱ」を編纂し、武内宿禰の孫が
「竹内文書」を編纂しました。それ
から数百年後の西暦645年、武内
宿禰の子孫である蘇我蝦夷(そがのえみし)が、大化
の改新のとき自宅に火を放って自殺
します。これにより聖徳太子と蘇
我馬子(そがのうまこ)が作った「天皇記」「国記」も焼
失。その後、「古事記」「日本書紀」
が編纂されるのです。
知っての通り、記紀には富士王朝
のことはもちろん、富士山の記述す
らありません。記紀が編纂された西
暦700年代よりも何百、何千年も
前に、富士山麓の天子七廟に造化三
神や神世七代の神が、北斗七星の形
でお祀りされていたにもかかわらず、
です。何の意図も働いていなかった、
というほうが無理な話です。
徐福と縄文の人々によって築かれ
た、北斗七星を象る天子七廟は、富
士王朝の霊的な中心スポットでした。
実際、杓子山を登り、下から順にお
参りすると、次第に意識が覚醒・拡
大していき、七番目の廟の高座社か
らは、何とも神々しい富士山の姿を
望むことができます。
外国人を連れてくると、感動し
て涙を流す人もあり、また、多くの
人の口から「ここは高天原のエネル
ギーですね」という感想を聞きまし
た。開けた意識で眺めるその絶景は、
まさに時空を超えていると感じさせ
るものです。
そんな天子七廟を懐に抱く富士王
朝は、アマテラスをはじめ、シャー
マン的な存在が中心となって政(まつりごと)
を行なっていた、女性性が開けた文明で
した。謎解きを進めるうえで、これ
ははっきり感じていることですが、
そんな富士王朝も、次第に衰微して
いきます。
何が原因だったのか。それは、「古
事記」「日本書紀」(以下、記紀)に
記された大和王朝の歴史の中では
英雄とされている、ヤマトタケルと
その背後にある、と私は見ていま
す。ヤマトタケルの東征は、父であ
る景行(けいこう)天皇と、330年も生きたと
いわれる武内宿禰の命令によるもの
だったといわれていますが、徐福の
子孫に学びに来たという武内宿禰が、
天子七廟の存在を知らないはずはあ
りません。
本来、天子七廟において、北斗
七星の第一星の位置にある「高燈大
明神」は重要視されていたはずです。
にもかかわらず、ヤマトタケルはこ
の「高燈大明神」をなかったことに
してしまいました。さらに第二星の
位置にある「太神社」が向く方角を、
本来の南ではなく、伊勢神宮がある
南西に変えてしまったのです。
そして、そこから約4km離れた所
に「北口本宮富士浅間神社」を創建
し、「北方に美しく広がる裾野をも
つ富士は、この地より拝すべし」と
命を下したのです。
これによって第一星の「高燈大明
神」は無視されただけではなく、杓
子山に描かれていた北斗七星が崩れ
ることになりました。そうすること
で、徐福たちによってもたらされた
霊力を弱め、この国を支配しようと
したのでしょう。
このときから、杓子山に描かれた
北斗七星とともに、天子七廟=富士
王朝の存在は消滅し、今日まで人々
の記憶から消えてしまったのです。
もちろん、ヤマトタケルはこの国
を守るために、良かれと思ってやっ
たことだろうと私自身は思っていま
す。しかし、結果として、その頃か
ら国内外でも争いが起こるようにな
り、それが昭和の時代まで続いてい
くことになります。
その後、ヤマトタケルは「ホツマ
ツタヱ」を編纂し、武内宿禰の孫が
「竹内文書」を編纂しました。それ
から数百年後の西暦645年、武内
宿禰の子孫である蘇我蝦夷(そがのえみし)が、大化
の改新のとき自宅に火を放って自殺
します。これにより聖徳太子と蘇
我馬子(そがのうまこ)が作った「天皇記」「国記」も焼
失。その後、「古事記」「日本書紀」
が編纂されるのです。
知っての通り、記紀には富士王朝
のことはもちろん、富士山の記述す
らありません。記紀が編纂された西
暦700年代よりも何百、何千年も
前に、富士山麓の天子七廟に造化三
神や神世七代の神が、北斗七星の形
でお祀りされていたにもかかわらず、
です。何の意図も働いていなかった、
というほうが無理な話です。
徐福と縄文の人々によって築かれた、北斗七星を象る天子七廟は、富士王朝の霊的な中心スポットでした。実際、杓子山を登り、下から順にお参りすると、次第に意識が覚醒・拡大していき、七番目の廟の高座社からは、何とも神々しい富士山の姿を望むことができます。
外国人を連れてくると、感動して涙を流す人もあり、また、多くの人の口から「ここは高天原のエネルギーですね」という感想を聞きました。開けた意識で眺めるその絶景は、まさに時空を超えていると感じさせるものです。
そんな天子七廟を懐に抱く富士王朝は、アマテラスをはじめ、シャーマン的な存在が中心となって政(まつりごと)を行なっていた、女性性が開けた文明でした。謎解きを進めるうえで、これははっきり感じていることですが、そんな富士王朝も、次第に衰微していきます。
何が原因だったのか。それは、「古事記」「日本書紀」(以下、記紀)に記された大和王朝の歴史の中では英雄とされている、ヤマトタケルとその背後にある、と私は見ています。ヤマトタケルの東征は、父である景行(けいこう)天皇と、330年も生きたといわれる武内宿禰の命令によるものだったといわれていますが、徐福の子孫に学びに来たという武内宿禰が、天子七廟の存在を知らないはずはありません。
本来、天子七廟において、北斗七星の第一星の位置にある「高燈大明神」は重要視されていたはずです。にもかかわらず、ヤマトタケルはこの「高燈大明神」をなかったことにしてしまいました。さらに第二星の位置にある「太神社」が向く方角を、本来の南ではなく、伊勢神宮がある南西に変えてしまったのです。
そして、そこから約4km離れた所に「北口本宮富士浅間神社」を創建し、「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と命を下したのです。
これによって第一星の「高燈大明神」は無視されただけではなく、杓子山に描かれていた北斗七星が崩れることになりました。そうすることで、徐福たちによってもたらされた霊力を弱め、この国を支配しようとしたのでしょう。
このときから、杓子山に描かれた北斗七星とともに、天子七廟=富士王朝の存在は消滅し、今日まで人々の記憶から消えてしまったのです。
もちろん、ヤマトタケルはこの国を守るために、良かれと思ってやったことだろうと私自身は思っています。しかし、結果として、その頃から国内外でも争いが起こるようになり、それが昭和の時代まで続いていくことになります。
その後、ヤマトタケルは「ホツマツタヱ」を編纂し、武内宿禰の孫が「竹内文書」を編纂しました。それから数百年後の西暦645年、武内宿禰の子孫である蘇我蝦夷(そがのえみし)が、大化の改新のとき自宅に火を放って自殺します。これにより聖徳太子と蘇我馬子(そがのうまこ)が作った「天皇記」「国記」も焼失。その後、「古事記」「日本書紀」が編纂されるのです。
知っての通り、記紀には富士王朝のことはもちろん、富士山の記述すらありません。記紀が編纂された西暦700年代よりも何百、何千年も前に、富士山麓の天子七廟に造化三神や神世七代の神が、北斗七星の形でお祀りされていたにもかかわらず、です。何の意図も働いていなかった、というほうが無理な話です。
七廟をめぐれば意識が覚醒するアセンションの仕掛け
いうまでもなく、縄文はレムリア
が母体で、富士王朝もレムリアの流
れを汲む王朝です。そこには、狩り
に行く男性たちがいて、そして村を
守り、子どもを守り、物事を決めて
いった女性たちがいました。男性が
不在だったからこそ、女性たちが中
心となり輝いていたのです。
富士王朝は女性性の文明であり、
人々のルーツや文化が多様な中で
平和に暮らし、完全に調和がとれた
世界でした。そのエネルギーを感じ、
惹かれたのが、徐福だったのです。
徐福はおそらく、星々や大地とつ
ながり、エネルギーを感じ、そこか
ら叡智や高次の情報を得ることので
きる、感性豊かな女性たちを目の当
たりにしたことでしょう。そんな女
性たちを敬い、サポートして一緒に
文明をつくり上げていったのではな
いでしょうか。
その証拠に彼がこの地に来て何か
を命令したり、戦ったりした形跡は
いっさいありません。それどころか、
いまだに地元の人から大切にされ、
愛され、感謝されているのです。
私はレムリアを過去のものでは
なく、いまのものだと思っています。
多次元とつながる人たちこそが、レ
ムリアンです。レムリアの叡智のエ
ネルギーにつながる鍵は、北斗七星
を描く天子七廟にあります。一つひ
とつをめぐることで、意識が覚醒す
るような仕掛けがされている。その
仕掛けをつくったのが、徐福だった
のです。
縄文から弥生の時代になる中で、
だんだん政治的な思惑も出てくれば、
古史古伝も書き換えられていきます。
もちろん口伝も同じで、どんどん話
が変わっていってしまいます。その
中で変わらないのが地名や星、石、
人の名前です。そうした変わらない
ものにメッセージを散りばめ、残し
ていたのです。
「いつか届け」「いつか開け」と、徐
福が意図的に作った仕掛けに、いま
ようやく私たちは気づき、追いかけ
始めています。
いうまでもなく、縄文はレムリアが母体で、富士王朝もレムリアの流れを汲む王朝です。そこには、狩りに行く男性たちがいて、そして村を守り、子どもを守り、物事を決めていった女性たちがいました。男性が不在だったからこそ、女性たちが中心となり輝いていたのです。
富士王朝は女性性の文明であり、人々のルーツや文化が多様な中で平和に暮らし、完全に調和がとれた世界でした。そのエネルギーを感じ、惹かれたのが、徐福だったのです。
徐福はおそらく、星々や大地とつながり、エネルギーを感じ、そこから叡智や高次の情報を得ることのできる、感性豊かな女性たちを目の当たりにしたことでしょう。そんな女性たちを敬い、サポートして一緒に文明をつくり上げていったのではないでしょうか。
その証拠に彼がこの地に来て何かを命令したり、戦ったりした形跡はいっさいありません。それどころか、いまだに地元の人から大切にされ、愛され、感謝されているのです。
私はレムリアを過去のものではなく、いまのものだと思っています。多次元とつながる人たちこそが、レムリアンです。レムリアの叡智のエネルギーにつながる鍵は、北斗七星を描く天子七廟にあります。一つひとつをめぐることで、意識が覚醒するような仕掛けがされている。その仕掛けをつくったのが、徐福だったのです。
縄文から弥生の時代になる中で、だんだん政治的な思惑も出てくれば、古史古伝も書き換えられていきます。もちろん口伝も同じで、どんどん話が変わっていってしまいます。その中で変わらないのが地名や星、石、人の名前です。そうした変わらないものにメッセージを散りばめ、残していたのです。
「いつか届け」「いつか開け」と、徐福が意図的に作った仕掛けに、いまようやく私たちは気づき、追いかけ始めています。
富士王朝と大和王朝の結婚富士山は魂の写し鏡
これまで何千年と続いてきた男性性の世界は統合され、私たちが目醒めることによって、この地球で新しい文明が生まれます。それは、レムリアに戻っていくというよりも、レムリアや縄文をベースに、その後に経験した男性性社会を叡智に変えて、さらなる素晴らしい地球になっていくということだと思っています。
いうなれば、富士王朝と大和王朝の結婚、融合です。そのためには人々の魂が輝いていなければなりません。ある仙人が言っていました。「淳ちゃん、宇宙でいちばん強いエネルギーは感謝の気持ち、ありがとうなんだよ」と。
富士山を見ると、自然に感謝の気持ちが湧いてくるのは私だけではないでしょう。自分の魂がきれいになればなるほど、富士山はどんどん輝いていきます。富士山は魂の写し鏡なのです。
私たちが、宇宙一のエネルギーが交差する、ここ高天原天子七廟を感謝の気持ちでめぐったなら、先人たちが富士山麓に込めた愛や平和、弥栄の想い、また結界が最大の効力を発揮することでしょう。
私たちが進むべき道は自らの魂が指し示してくれています。そう、空に輝く北斗七星のように。
もともと富士吉田市は機はたお織りで有名な場所。徐福の先祖はシルクを最初に開発した家系で、徐福が富士の明あすみ見に来て最初に始めたこともシルクの生産でした。シルクをつくるのに重要な豊かな軟水が、ここにはあったのです。当時、100g のシルクと100g の金が同じ値段だったほど、シルクはとてつもなく高価なもの。ここにいた女性たちは光沢のある、まるで金のように美しいシルクを身につけていました。そのイメージが、私にとって富士王朝そのものです。(伊藤さん)
「高座社」は廟のなかで、いちばん高い場所にあります。そこは龍の手の位置。淳さんが「ドラゴンボール」と呼ぶ場所です。標高も高いですが、エネルギーも高いこの場所は、まさに高天原。ここから望む富士山はとても神々しく、別次元の存在のように見えます。
ゲストハウス Peace One(ピースワン)
杓子山の中腹にある、伊藤さんがオーナーのゲストハウス「Peace One」は、古民家をリノベーションしたリトリート・リゾート。キャンプやバーベキューも楽しめ、外国人旅行者も多く訪れる、なかなか予約の取れない人気の宿です。伊藤さんの魂のパートナー、クリスタルキーパーの公子さんとともにお迎えします。
Peace One のすべてに、杓子山の頂上から龍脈を流れて来る湧水を使用。お風呂やサウナはもちろん、氷や炭酸水を始め、お料理にもこの湧水を使ったカフェも併設しています。
公子さんが作る、クリスタルや麻を使ったアイテムも常時展示してあり、購入することができます。オリジナルアクセサリーの注文も可能。
淳さんがナビゲートする「ドラゴン・アセンション・ツアー」も随時開催。今号で紹介した天子七廟や本宮を、淳さんとめぐる「北斗八星巡礼〜縄文から届いた愛と平和のメッセージ 富士王朝の真実、すべて伝えます」のほか、
「瀬織津姫巡礼」も行なっています。
淳さんと一緒に、実際に七廟をめぐる究極のリトリート!
詳しくは下記サイトをご覧ください。
https://www.peaceandone.com
ゲストハウス
「ピースワン」主宰
伊藤 淳さん
Jun Ito
Profile
いとうじゅん◎90年代中盤、野外パーティの黎明期に(株)イクイノックスを設立し、数々の伝説的なパーティのオーガナイザーとして活躍。その後、日本のPeaceを富士山から世界に発信するために、山梨県富士吉田市に移住し(株)ぴーすを設立。2016年、富士山の北東(鬼門)に位置する杓子山の麓にゲストハウス「ピースワン」をオープン。1年後、病気で倒れたのをきっかけに突然、神がかった話が口をついて出るようになる。ゲストハウスでは宿泊客に富士王朝の真実を語り、富士王朝聖地巡礼ツアーも行なっている。
https://www.peaceandone.com














